生活保護受給までの道のり



03年9月より生保受給。

きっかけは同年5月カウンセラーに勧められたこと。知人にきちんとした所を紹介してもらっ
た。

2時間かけてカウンセリングを受けた。カウンセラーはベテランの女性でとても話しやすい方だ
った。「毎日毎日、親に口汚い言葉を浴びせられ頭が痛くなる。このままだと親への憎しみが
暴力となり、それが段々エスカレートしていく。いつか親を殺してしまいそうでそんな自分が怖
い。病気がちなので実家を出て働いてひとりでやっていくことができない。役所に相談しても、
自分が入れる施設がないと言われてもうどうしたらいいかわからない」と話したら「世帯分離し
てしばらく生活保護を受けてみては」と提案された。


いわゆる『一般中流家庭』で育った自分としては『生活保護』というものにはかなり抵抗があっ
た。イメージは、ボロボロの服を着て食事代にも事欠くようなみじめな生活になるのでは、と怖
かった。正しい知識がないから悪い想像がふくらむばかり。だいたい、親は持ち家だ。本当に
引っ越して世帯分離になれば生保は申請されるのか。
念のため、地元の役所の生活保護相談窓口で自分のケースが生活保護の対象になるか訊い
てみた。対応した職員の話だと「あなたの場合なら、まず申請は通るでしょう」との言葉にすこし
安心する。しかしまだ躊躇があり行動に移せないでいた。
3ヶ月ほど悩んだが、あるとき夜中に親との大喧嘩で近所の人が警察を呼ぶ騒ぎになり実家
を出ることを決断。

 

9月上旬、自分でアパートを見つけ引越し、住民票移動、即生保申請。

役所の保護課に行き、生保申請したい旨を伝えると「他の方法は本当にないの?」と何度もな
んども訊かれた(ないからここに来たんですけど。。。)
まず、生まれてから現在に至るまでの生育歴をひとつひとつかなりこまかく質問される。何処に
生まれて、両親は誰で、通った学校・働いた事のある職業・人間関係についてetc etc
etc・・・・・・。
自分の状況を説明していたら号泣してしまった。言いたくない事も話さなければいけない。しか
も私の場合、こまかく説明しないと分かってもらえないような複雑な生い立ちなのだ。普段、押
し込めていたものがあふれてしまったのかもしれない。

その後の事はよく覚えていない。何枚か書類に必要事項を書き込んで、役所の人が通帳を全
ページコピーをとっていたのをぼうっと見ていた。
手続きが全部終わったら5時を過ぎていて役所の正門は閉まっていた。職員用の通用口から
帰った。とても疲れてふらふらと帰ったのをぼんやり記憶している。



4日後に、担当ケースワーカーの方が家庭訪問にやってきた。
全部の部屋を見て周り、暮らしぶりや健康状態などを聞かれた気がする(あまり覚えてませ
ん・・・・)でも押入れや引き出しの中まで見るようなことはなかった。
部屋にあったパソコンやマッサージチェアを見ても、特に何も言われなかった。(仮に換金した
としても、古い物なので二束三文だ)

なんだか、意外とあっさり終わってしまった。どうやら初回の家庭訪問は、「届けた住所にほん
とうに住んでいるか確認する」のが一番の目的らしかった。



9月下旬、申請から2週間ちょっと過ぎに郵送で申請が受理されたという通知がくる。元々精神
科に通院していて、精神障害者手帳2級と精神障害年金2級を受給していたこともあり、申請
が通りやすかったのだと思う。


  _____

〜現在に至る。
今はまだ仕事の出来る状態ではないうえ、作業所などにも通っていない(希望したのだけど主
治医が許可してくれなかった)。資格の学校へ行きたいと考えていて、現在学校見学、ガイダン
スなどを聞きに行っている。
定期的に通っているのは2週に1度の精神科通院、それとは別の病院の内科、それに週1の
ヨガ教室のみ。それ以外の日は、調子の良いときはなるべく歩いて体力を付けるようにしてい
る(ハードな運動はまだ無理)


なにかあったら生活保護の担当ケースワーカーさんと障害担当の2人に相談する事になってい
る。(ちなみにふたりとも若い女性なので話しやすい)


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04.6.21追記
4月から障害者手帳所持者へのヘルパーサービスをうけ始める。
朔野が鬱状態になると出来なくなる家事や通院の付き添いなど。週6時間。
ヘルパーさんは子供のいる既婚女性。みなさん、とても親切で優しい人です(感謝)



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